フィードバックをしていますか?「フィードバック」というのは、人事評価のサイクルの中で上司から部下に行なうものに限ったことではありません。他人から何かを聞かれた時に、あれこれと考えてから回答したことは、みなさんも経験はあると思います。一方、聞いた側はその時は「頼りになった」「アドバイスが有効だった」と感じますが、その後、どうしていますか?
渦中の時はともかく、その後
私も経験あるのですが、急に「今までこんな時どうしていましたか?」的なケースやアドバイスを求められることってあると思います。そのような時は、その場で回答できることもありますが、いざとなるとちょっと記憶があやふやだったりして、自分になりに確認してから回答を返すこともあります。
それからしばらく経つと、「自分がアドバイスした件って結局どうなったんだろ?」って、思うのは私だけでしょうか?あれこれと大変なのだろうと推察はしますが、聞かれたことが結局どう活かされたのか/別の何かになったのかというのは正直気になります。別に、多忙な時にどうなったのか返事をよこせ、といっているわけではないです。さらに、仰々しく報告をしてくれとも思っていません。後日落ち着いたときとか、何かの折とかでいいんですけどね。
何をどのレベルで返せばいいのかというニーズがわかる
私が、フィードバックをほしいと思うのは、まさに「何をどのレベルで返せばいいのかというニーズ」を知ることができるからです。自分では良かれと思っていても、それが合わなかったりすることって、結構あると思います。その辺の「さじ加減」って、「結局、どうした」という内容を伺えれば何となくわかるものです。
思い起こせば、会社員の時も同じことを聞かれたとしても、聞かれた相手によって回答の強弱や緊急性などを自分なりに「判断」して、対応方法を変えていたことに気が付きました。それは、過去に相手からのフィードバックがあったのかということに依存していたのではないかと推察します。
信用度合いのレベルを下げている
自分が困ったときだけ何かを聞いて、それに対して何のフィードバックをしない人だと、対応方法・内容はかなり適当になっています。時間は有限なので、何のフィードバックが返ってこないならば、何を言ってもいいだろう=それほど意味も無いので、時間もかけずに優先順位も下げてさらっとすませておけというのが正直なところ。ある意味、私の中での「相手に対する信用度合い」のレベルが下がっている、ということなのかもしれません。人に対する対応がぞんざいだと、巡り巡って自分に返ってくると思います。
人の評価はそう簡単には覆らない
プロスポーツ選手であれば、年度や大会毎に明確に成績(戦果)が出ているため、過去の評価を覆すことは比較的容易かもしれません。ただ、私のように企画・事務系の仕事の場合、「一緒に仕事をしていた時」「同じ会社に在籍していた時」「セミナーで何日かを過ごした時」というように、過去のある一点の「能力・状況・対応結果」が、良くも悪くもいつまでも「その人に対する評価」として残っていると思います。
それが、ポジティブな評価ならば全く問題ないのですが、どちらかといえばネガティブな評価だと、仮にその後にいろいろと行動変容があって、改善されていたとしても、なかなか影響を及ぼさないわけで・・・。
もちろん、再度一緒に仕事をする機会があれば、十分に挽回もできるし、「改善」や「成長」を示すこともできるでしょう。ただ、そうでもないとなかなか難しいのが実情です。
そのような状況においてできることは、一つ一つの付き合いを大切にすることでしょう。仮に何かを聞いたとしたら、その結果がどうなったのかということを、フィードバックするのは重要です。見返りを求めているとかそういうことではなく、「結局、どうなったのか」ということは結構気になるものです。ちょっとした行動が、「その人の評価」となって、じわじわと広がっているんだろうなと、最近とても実感しています。
【追記】フィードバックとは↓の記事にあるようなものだと思います。こちらを参考にしていただければうれしいです。